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StarletKP61

"比較べたし" という宣伝文句、知っていますか?

覚えているあなた…、結構オジサンかも。。。

学生時代に自分で買った最初のクルマは、中古のKP612ドア、Deluxeであった。

営業車として使われていたと思しきKP61は当然フルノーマルで、タバコ臭がひどく、タクシーの如くエンジンは高回転まで回らず(タコメータがないので不明)、まったく面白いクルマではなかった。また、トヨタでは「デラックス」とは安物に付ける名前だということを知った(子供の頃はスタンダートより豪華なのがデラックスと呼ばれたものだが…)

しばらくはノーマル状態で砂地やウェット路面でスライドコントロールの練習をした。中学生の頃はスピンターンで止めることしかできなかった私だが、ある程度の練習を経てターン後の加速まで一連の作業でできるようになった。

購入後の初めての車検を受けた後、ノーマルの不満点を消すため、以下のように手を加えていった。

さらに2年後の検査時には新しいボディ(4ドア、SE)を手に入れ、自分で部品を組み替えて(移植して)同様のクルマにして乗った。電気仕掛けのなかった時代は面白かった。

 

改修点

効果

タコメータ装着

エンジン回転数が分からなければエンジンとの対話が満足にできないので、まずはタコメータを手に入れることにした。スクラップ屋に「S」グレードの車体があればメーターごと買ってきて交換するのだが、見つからなかったので、80φの単体メーターをステアリングコラムの上に付けた。

レッドゾーンは6000rpm程度だと記憶していた(小学生のときに読んだデビュー時の雑誌記事による)が、初めのうちは回すとワーンワーンと騒がしく、5000rpmぐらいしか回せなかった。何度かオイル交換をしながら高回転まで使ってやると、だんだんとスムーズに回るようになり、タクシーのような音が出なくなった。

臭い消し

タバコの臭いを消すため、ムース状の洗浄剤(布シートクリーナー)を内装すべてに吹きかけてヤニを落とした。また、エアコン消臭スプレーを何度も使ったおかげで、すっかり臭いは消えた。長年溜めこんだ臭いでも落とすことが可能であることを学習した。

ブレーキパッド

ノーマルブレーキでのヴェーパーロック経験によってブレーキに気を使わなければ危ないという認識が生まれ、雑誌の宣伝を見て日立の2424Fと思しき製品を付けた。しかし、ほとんどノーマルとフィーリングは変わらず、減りだけが早かった。

次にエンドレスType Rを付けた。これはサーキットで酷使してもフィーリングが変化しない優れものであった。ただし鳴きはすごかった。

真空倍力装置を得た後、新製品のエンドレスType Yを付けた。これは摩擦係数が異常に高く、フロントとリアのバランスが崩れた。少し踏むだけでフロントロックし、サーキットではとても使いにくいものであった。フロントとリアのセット装着(四輪ディスクブレーキ車)が前提であることを教えて欲しかった。

最後に付けたウィンマックス#30は、適度な摩擦係数を持ち、コントロール性も高く、かなり気持ちの良い製品であった。土屋圭一(テスター)はなかなかいい仕事をすると思った。

リアはドラム式であったので、一度も替えることはなかった。

ブレーキ倍力装置

真空倍力装置が付いていない車が昭和58年に作られていたとは思いも寄らなかった。渾身の力を込めてペダルを踏んでも、タイヤをロックさせるのは難しいことであり、サーキット走行をすると1日で足から腰まで疲れきった。

スクラップ屋で真空倍力装置を入手し、合わせてみると、わずかにブレーキパイプを曲げるだけでフィットした。倍力装置の威力は絶大で、サーキット走行で右足がくたびれることがなくなった。

シート

ノーマルシートはレールやリクライニングのガタツキが大きく、ホールド性が極めて悪かった。4点式ハーネスで体を固定して走っていたが、追突されてシートが変形したため、市販品に交換した。

最初はレカロ風の「Designer2000」を使ったが、尻の収まりが悪く(センター部分のクッション幅が尻より狭い)、とても重かったので、FRP製のBRIDE「PRO R」に交換し、軽量化とホールド性アップを図った。

軽量化

内装のカーペット、遮音材、アスファルトシート、リアシートなど、できる範囲で剥がした。それらを集めるとかなりの重量になった。外側(床下)にも制振シートが貼ってあるところがあったので、それも剥がした。

エアコンのコンプレッサやコンデンサもかなり重量が嵩むため、取り外した。当然ながら夏は地獄で、団扇が必要であった。

重量配分適正化

エアコンを外してフロントを軽くしたが、さらに軽くするためにバッテリをエンジンルームから室内に移設した。

プラス側の電線はノーマル品に加えてスクラップ屋で取ってきたものを継ぎ足し、助手席の後ろまで引っ張った。エンジンルームで電源を取るため(ヘッドランプやホーン用)にプラス用の独立端子も設けた。

これらの変更が走りに効いたのかどうか、それは明確には分からなかった。

ダンパー

最も安価なKYB「SR Special」をまずは選んだ。フロントは非調整式、リアは8段調整式であった。これはノーマルバネ、トヨシマH150、タナベジムカーナバネとそれぞれ組み合わせたが、バネが硬くなるに従い、調整できないフロント側の減衰力不足を感じたので、TRD部品(KYB製)に替えた。

TRDのダンパーもフロント非調整式、リア8段調整式であった。リアはショートタイプでバネが遊ばなかった。フロントに短いEP71用4段調整式を付けてショートタイプにする(ケース要加工)のが流行したが、そこまで手が回らなかった。

サスペンションスプリング

修理屋の大将が「まずは切ってみろ」というので、ちょっと流行遅れのやり方だとは思いながらノーマルバネを1.5巻きカットしてもらった。同時にダンパーをKYB SR Spl.に替えたが、バネの柔らかさと車高の下がりすぎによって街乗りでも底付きがひどく、耐えられなかった。ノーマルカットはやはり大昔の話なのだと学習した。バネを硬くして車高を上げるためにトヨシマH150に替えた。

トヨシマのH150はあまり車高を下げるバネではなかった。それでも当時はバネの巻き方が単純であったため、ノーマルストロークダンパーと組み合わせるとバネが遊んだ。バネ定数は高くなく、ロールが大きくてアンダーステアが強い設定であったことから、さらに硬いバネに替えたくなった。

タナベのジムカーナスプリングは3kg/mm程度の硬さ(ノーマルの約2倍)で、車高がかなり落ちた。ノーマルストロークダンパーと合わせると当然ながらバネが遊び、KYB SR Spl.ではバネの抑えがきかないと感じたので、TRDに変更したところ、マッチングは良くなった。走りは良くなったが、シャコタンということで白バイに止められ、フロントのバネが遊ぶことで整備不良を言い渡された。シャコタンが大手を振って走れる(当然バネは遊んではいけない)現在とは時代が違ったのである。

ピローボールアッパーマウント

フロントのキャンバ角を自由に変えられる便利な部品を使うことによって、デフロック(下に記載)の悪影響である強いアンダーステアを解消することができた。

4点式ロールバー

2ドア用

中古で安く入手できたので、カッコ良さだけのために取り付けた。後部のみの4点式であったが、意外にもボディがしっかりとしたことが感じられた。

4ドアにボディを替えてからも同じロールバー(2ドア用)を付けてみた。奇妙な格好になったが、リアシートが付いていなかったため、気に留めなかった。

エンジン

ノーマルは4Kという型式の1.3Lエンジンで、兄貴分としてカリーナバンなどに載る5Kという1.5Lのエンジンがあった。比べるとボアが5.5mmも違ったのであるが、4Kブロックのボアを広げて5Kピストンを入れることができた。排気量を約200cc大きくすると、トルク感の違いは明らかに体感できた。

ボアアップ加工の前にエンジンをばらすと、内部は驚くべき状態で、スラッジで焦げ茶色に汚れていた。ばらすまでに何度かオイルを替え、フラッシングオイルも使ったことがあったが、全然きれいにはなっていなかった。一度溜まったスラッジは容易に落とすことはできないのであろう。

手が入る範囲でスラッジを削り落としてから組み上げ、数年後に再度ばらすと、内部はきれいな状態が保たれていた。オイル交換をまめに行えば、汚れはたまらないことが分かった。

最初は修理屋でエンジンを降ろしたが、2回目からは駐車場で人力にてエンジンを降ろした。

キャブレタ

キャブを替える前は、吸気バルブ面積が変わらない以上スロットルバルブ面積を多少変えても吸気量はそれほど変わらないと思っていた。しかし、SOLEX 40φに替えてみると明らかに走りが変わった。レスポンスと吸気音が別物になり、走ることが楽しくなった。ただし、冷間時はアイドリングが不安定になり、温間時とのバランス調整が大変であった。また、4つのスロットルバルブのバランスを整えたり、アイドリング時のガスの濃さを整えたり、走行中の燃料調整のためにジェット類を交換してセッティングを出すのも大変な作業であった。でもそれが楽しかったのである。

カムシャフト

OHVであることから、カムシャフトを交換するのは面倒であった。(D)OHCならヘッドカバーを外せば交換できるのであるが、OHVはエンジンをばらす必要があった。ブロックは鉄製であったが、2人で簡単に持ち上げることができ、機械を使わずに駐車場で人力で下ろすことができた。

「まつおか」の加工カム(70度)を組み付けると、なんと7000rpmまで回るようになった。高回転での充填効率が良くなったことから、ノーマルAE86に対してあまり遜色のない加速を見せるようになった。なお、バルブサージングを防ぐため、「Si」純正バルブスプリングを使った。

サーキットで調子に乗って7500rpmまで回すと、シリンダ壁に穴が開き、壊れてしまった。

フライホイール

ノーマルを軽量加工したものを付けてみると、レスポンスが明らかに軽快になった。低回転時のトルク不足(はずみ車として不十分)を心配したが、ノーマル加工品では問題になることはなかった。

クラッチ

排気量アップ、加工カム、SOLEXなどでパワーアップしたエンジンに対して、ノーマルクラッチでは伝達力が不足すると考え、クラッチカバーのみを強化品に替えた。かなりペダル踏力が重くなったが、もともとが軽かったので、実際には問題にならなかった。

マフラー

当時は触媒を外さなくては付けられない製品ばかりであったので、不本意ながら毒ガスを撒き散らして走った。トラスト製品は消音器が2コ付いていたため、いくら回してもとても静かであった。一方、フジツボ製品は小さい消音器が1コしか付いていなかったため、割れるような音を発した。高回転では楽しかったが、低回転での品のない音には閉口した。

排気マニフォールド

タコ足はトラストの青い鉄製を使った。4Kはカウンターフローであったため、吸気マニに熱が伝わりにくいようステンレス板をホームセンターで買って遮熱板を作った。

点火装置

点火方式はすでにフルトラになっており、信頼性には問題がなかったが、SOLEXから供給される濃い燃料を燃やすにはCDIが有効に働くと考えて取り付けた。しかし、何ら変化はなかった。もったいないので乗り換えたカプチーノにも付けたが、やはり変化はなかった。

サーモスタット

当時は寒冷地用と沖縄用のサーモスタットが別に存在したので、約10℃低い温度で開弁する沖縄用に交換した。パワーアップしたエンジンの冷却をノーマルラジエータで対処しようと考えた策であったが、連続走行でも水温に問題はみられなかった。

現代でも同じような考え方があり、ローテンプサーモなる商品が存在する。

デファレンシャル

LSDを装着する代わりに修理屋の大将が薦めてくれたのがデフロックであった。差動を司る部分を溶接で固定し、左右輪を直結して駆動力のロスをなくすという原始的な方法であった。左右輪の回転に差をつけられないことから、ステアリングを切るとリアタイヤがスムーズに動かないこと(タイトコーナーブレーキング現象)を経験した。デファレンシャルというものは、クルマがスムーズにカーブを曲がるために発明されたものなのに、それを昔の姿に戻すというのは滑稽であった。

後日、中古のLSDを買ってきて組んだが、差動制限力が弱っていたため、ほとんどLSDとしての作用を得ることができなかった。オーバーホールは面倒だったので、やらなかった。

ドライブシャフトを抜いたり、デフを外す作業を何度となく行う中で、デフオイルを頭からかぶったことがあった。ギアオイルは臭いがきつく、取り除くのは困難かと思われたが、意外にも普通のシャンプーで洗い流すことができたのである。

トランスミッション

ノーマルは4段MTであった。PENZOILのギア油を入れていたが、サーキット走行を繰り返しているとギアから異音が出て、しまいには変速ができなくなった。牽引ロープをホームセンターで買い、サーキットから家まで200kmの道のりを先輩のAE86に牽引してもらって帰った。

それから予備の車両(Sグレード)の5段MTを載せ替えた。トランスミッションはとても軽かったので、1人でクルマの下にもぐって脱着するのは容易であった。

ステアリングホイール

ノーマルは硬いプラスチック製であったので、ゲームセンターにあるようなグリップ部が太くて単純な形状のビニール巻きのステアリング(EVA、5000円、350φ)を街のカーショップで買ってつけた。これはなかなか好印象であった。

次に、流行のNARDI Classicをつけたが、330φという小さいものを選んでしまったためハンドルが重くなり、微妙な操舵ができずに困った。グリップが細いというのも好みに合わなかった。友人のKP61についていたNARDI Classic 360φは大きくてカッコ悪かったが扱いやすく、ちょっと羨ましかった。

シフトノブ

当時はMTが主流であった。トヨタ車のシフトノブはだいたい共用できたので、スクラップ屋に行っては色々な車種のものを手に入れた。「着替え」を準備したうえで、硬いプラスチックでできたノーマルの球形ノブをカッターナイフで削り、形を変えたり小さくしてみたり試行錯誤を重ねた。あまり上手にできなかったので、革巻き(AE86)や木製(カローラSE)のものにも替えてみた。色々と試した結果、球形のものが最も扱いやすいということに気がついた。なかなか面白いものである。

タイヤ&ホイール

デビュー時は12インチを履いていたモデルもあったが、M/C後は13インチになっていた。ノーマルサイズは145SR13という細さだったので、滑らせることはたやすく、雨天時に誰もいない交差点で遊ぶのが楽しかった。

AE85用の155SR13、AE86用の185/70R13などの純正タイヤで練習を重ね、185/65R13のPOTENZA RE71を履いた。ハイグリップタイヤというのはタイムアタックでは役に立ったが、滑らして楽しむことを優先し、最後は175/60R13のGRAND PRIX M3を履いた。

ホイールはAE86純正、EQUIP、ADVAN、RAPなどを履いた。RAPの軽さは魅力的で、リジッド式のリアサスの動きを良くする目的で装着した。ただし、ブレーキ冷却と剛性を考えてフロントには装着しなかった(写真↓)。

 

KP61を所有し、修理屋の大将と知り合ったことにより、学業よりもクルマに関わる時間のほうが長くなってしまった。大将からクルマの基本を実践で学び、自分の手でいろいろなことができるようになり、感謝している。本当に楽しい学生時代を過ごすことができた。

卒業して10余年、久しぶりに大将の顔を見ようと修理屋を訪れた。しかしそこにはもう店がなかった。隣の店主に聞くと、医者から止められた酒をやめられずに数年前に逝ったという話であった。よく飲みに連れて行ってもらったものであるが、そんなに好きだったのか。。。

 

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