二十四時間 戦えますか?

ブラック企業ということばが流行した。そして、私もそんな会社に勤めた経験はある。そして、辞めるときには引き留められたが、さほど強いものでもなかった。あまり大したブラック度ではなかったのかもしれない。

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最近、姪がアルバイト先の勤務が辛いというので、話を聞いてみると、長い日は9:00〜21:00勤務だという。それは確かに疲れるだろう。辞めるつもりだというが、人手不足を考えると(労働者側で考えなくてもいいかもしれないが)、辞めずに時短を申し出てもいいのではないかとも思う(会社にとってマイナス1.0人よりマイナス0.5人のほうがまだいいのでは?)。しかし、時短を申し出ると居づらくなるかもしれないという心配もしているようだ。まあ、心模様は複雑である。

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私がまだ学生の頃、表題にあるドリンク剤のTV-CMが頻繁に流れていた。

それを見て、24時間は無理だけれど、週に4ぐらい22時間労働だよ」とつぶやいたものであった。

実際のところ、次のような働き方をしていた。基本はSS(ガソリンスタンド)勤務であり、月曜・金曜の夜勤は月に6〜8回ぐらい入っていた(労働時間はだいたい100時間/週ぐらいか)。

月曜日  基本はSSで9:00〜21:00、 夜勤が入ったらSSを早退して翌朝まで
火曜日  基本はSSで9:00〜17:00、 夜勤 18:00〜8:00
水曜日  基本はSSで9:00〜17:00、 夜勤 18:00〜8:00
木曜日  基本はSSで9:00〜16:00、 家庭教師 18:00〜20:00
金曜日  基本はSSで9:00〜21:00、 夜勤が入ったらSSを早退して翌朝まで
土曜日  基本はSSで9:00〜21:00
日曜日   要請がない限りは休み

夜勤の場所は少し遠かったので、住居に戻って着替えたらすぐに出かけることになり、10分ほどしか滞在時間はなかった。

木曜日の家庭教師は、教える前に夕食(ヒレカツが多かった)が出て満腹になり、教えた後はBIG FISHING(テレビ)を観ながらゆったり過ごすことができ、充電できる日であった(栄養はここで摂っていた)

これら以外にも色々な興味のある場所(高級料亭の皿洗い、X線を通さないプラスチックの成型工場)に入り込んだり、臨時の要請に応えたり(内装工事、駅の構内通路の床の張替、型枠大工の手伝い、引越、家庭教師などをすると、あまり休みの時間はなかった。

※臨時の家庭教師(補習ということでもないが)をした後は、特別な外食のことが多かった。ステーキハウスに行ったときには、家族は250gなのに、私の分だけ400gを注文(えっ?)。それを完食したら、まさかの追加で250g(なんとっ!!!)。「まだ食べられるでしょ?」と言われたら、「たぶん大丈夫です!」と答えるしかないわけで・・・いつも夕食に出してもらっていた山盛りのヒレカツ(400〜500gぐらいだったのか)を喜んで食べる様子から判断されたのかもしれない。ともかく、家庭教師の契約条件は「晩御飯を出してもらえれば月謝は求めない」ということだったので、なかなか面白いことになっていた。

 

学生時代は22時間/日の労働でも特に問題を感じなかったが、就職して、内勤の勤務時間が長くなると辛く感じるようになった(外勤時代は何も感じなかったが・・・いや、あまり働いていなかったのかもしれない)。実際、残業時間が45時間/月を超えると、ものすごく体に堪えるのてあった。

45時間/月なんて、1日にたったの2時間+α 余分に働くだけじゃないか。それなのに、どうしてそんなにしんどいと思ったのだろう。

人間というものは、精神的なプレッシャー(ストレス)に弱いというのが、今の思いだ。

辛くなったら、気持ちが安らぐ方向を目指せばいい。短時間勤務等の希望が考慮されないのなら、辞めても問題はない。また、退職代行サービスというのが流行しているが、退職を申し出て強いストレスを受けるのなら利用してもいいだろう(ある程度のストレス耐性は必要だと思うが)。

前向きに生きられる状況を作っていれば、何か見つかるはずだ。

AUGUST 2019

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私がブラック企業で働いていた頃は、帰宅すると夕食も喉を通らず、ましてや風呂に入ろうなんて気力もなく、電池が切れたように眠りに落ちていた

でも、人それぞれなのであろう。この記事によると「ご飯を食べて、お風呂に入ってすぐ寝てしまう毎日」だったというのだ(とても健全だと思うが)。それなのに、予告もなく自ら死を選んでしまったというのは、よく理解できないところだ。

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