~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ドヤ街

小学生(低学年)の頃、釜ヶ崎(大阪市西成区)の近くを通ることは時々あり、道で寝ている浮浪者や空き缶拾いのオジサンを間近で見ることに大きな抵抗感はなかった。

ただ、新今宮駅の券売機で乗車券を買おうとしたとき、不意に後ろから抱き上げられたときの恐怖心は記憶から離れない(ボタンに手が届くようサポートしてくれたのかな・・・)

- - -

さて、本日の DIAMOND online を読んでいたところ、西成グルメと銘打った記事が目に留まったのである。

http://diamond.jp/articles/-/124147

あの釜ヶ崎で「グルメ」などと呼べるような店があるのかと思ったのだが、私の記憶は通天閣や動物園の辺りまでの狭い範囲なので、釜ヶ崎の情報に興味を抱いた。

記事を読むと、私はやはり釜ヶ崎の中まで分け入ったことはないと判明した。

そして、釜ヶ崎は、10年ほど前に私が一時的に住んだ地区にあったドヤ街とは趣が違うという感じがしたのである。

- - -

二度目に東京勤務になった場所は、一度目とは違い、移転直後の本社であった。湘南新宿ラインを利用するのが便利な地にあったので、横浜に住むことにした(一度目は中央線を利用)。

横浜で居住に適した地域を私はよく知らず、大学生の頃に立ち寄った中華街だけが横浜の記憶として存在した。

転職先が決まるまでの短期間の居住なので、安価な部屋を探していたところ、伊勢佐木町や石川町が候補に挙がった。狭くてもいいので安い物件に絞ると、最終的に石川町の近くに辿り着いた。中華街のことは頭になかったが、たまたま中華街の近くに住むことになったのである。その住所は長者町1丁目。

入居の日、初めてJR石川町駅を出て、薄暗い川沿いの道をマンションまで歩くと、周辺にはなんだか変な空気が流れていた。浮浪者が道端で寝ていることはなかったが、どうも落ち着かない雰囲気なのであった。

そう、そこはドヤ街の中と言っていいぐらいの場所だったのである。横浜のドヤ街とは、寿町である。

同行して数日間だけ滞在した家内は、居心地の悪さを訴えていた。

 

 

世の中には寿町を興味本位で散策する人がいるようで、以下のような記事が存在する。

http://djzakiyamasan.hatenablog.com/entry/2015/07/03/002137

http://hamarepo.com/story.php?story_id=3367

 

私は興味本位ではなく、食事を摂る店がないか探すために歩き回ったが、上のライターのような真似はできなかった。なぜなら、第一に安くなかったからである(食堂で700〜800円)。そして、一般人が入って行ける雰囲気ではなかったから。。

したがって、食事は横浜駅、中華街、元町で摂るか、駅前のスーパーマーケットで弁当を買うことが多かった。

休日、寿町の中をうろうろしているとき、職安のビルに入って娯楽室を覗いたこともあったが、立ち入ることはできなかった(なんとなく怖い)。また、図書室もあるということであったが、利用しなかった(中央図書館まで歩いた)。

道路に歩いている人はあまりおらず、寝ている人はまったく居なかった。大阪では浮浪者を多く見かけたが、横浜の労働者は生活保護を受けて簡易宿泊所で過ごしているのだろう。生活するのに充分な額が支給されるため、安い食堂がないのか。。。

地域に慣れ、散策の範囲が広くなると、新たなものも見えてきた。それは、居ないと思っていた浮浪者であった。

生活保護を受けたくない(身元を明かせない)のか分からないが、宿無しの人はJR関内駅の地下通路にたくさんいた(怖いので、その脇を歩く人は殆どいなかった)。出口に近いところは雨か小便か分からないが地面は濡れており、きつい臭いもしていた。

 

 

少し歩けばキタムラ本店のある元町があり、きれいな街を散策する楽しみがある(キタムラメンズショップで財布を買おうと思った)。汚い二級河川(中村川)が明瞭に町を分断しているのは、現代においても解消できない事情が残っているからであろう。

横浜という土地は、面白いところであった。市街(横浜駅)、みなとみらい、飲み屋街(野毛)、中華街、ドヤ街、旧市街(日本大通り)、洒落たショッピングゾーン(元町)、港湾(本牧)など、徒歩圏内で明瞭に区分された街並みを見ることができた。

 

- - -

釜ヶ崎と寿町はどちらもドヤ街ではあるが、成り立ちが違うのだろう。

わずか3箇月の滞在であったが、単身赴任で面白いことを経験できたので、記憶を基に記載した。08APR2017

戻る

   

inserted by FC2 system